December 10, 2009

ふと思ったけど、

mxcxrxjapan:

westbug:

鳩山政権を支持し、

亀田内藤戦で亀田勝利に喜び、

島田紳介の番組で笑い、

ヘキサゴンファミリーのファンで、

韓流ドラマ好きという、

俗に「2009年に一般的とされる人」ってどこにいるんだろう?

少なくとも身近にはいない。

(Twitterから転載しました。)

団塊世代ちょい前@関西なら結構居てるような気がしなくともないが確かに身内には居てないなぁ。

付け加えて「EXILEが好きでCDをちゃんと買ってコンサートにも行く人」となるとホント皆無。

でも、数字上の話だと、その人たちが日本を動かしてるんじゃないの?ねー、どこーどこー?

December 9, 2009

857 :おさかなくわえた名無しさん :sage :2008/04/22(火) 16:14:29 (p)ID:fIjjM2qp(3)
アメリカ人女性の投票による全米スターランキングで早川雪洲と首位を競い合った
「世界の喜劇王」チャールズ・チャップリンは、
1916年、日本人の高野虎市を運転手として採用した。
高野は運転から経理、秘書、護衛、看護夫など様々な役割を器用にこなし、
チャップリンの遺書の中で相続人の一人に選ばれるほど絶大な信頼を得た。
チャップリンは日本人の誠実な仕事ぶりに惚れ込み、
次々と日本人を雇い、1926年頃には使用人は全員日本人となっていた。

彼は生涯で4回来日したが、
1932年の来日時、「日本人はみんな親切で正直だ。何をやるにつけ、信用ができる。
そのため自然と日本人が好きになった。
こんな人たちを作り出している日本という国は、一体どんな国だろう?
一度行ってみたいものだと思い始めた」と語っている。
彼は歌舞伎や相撲など日本の伝統文化を愛した。
また、チャップリンが使った有名なステッキは、滋賀県産のものだった。


チャップリン豆知識

December 1, 2009
November 29, 2009
c.r.e.a.m (クリーム)
Cash Rules Everything Around Me(俺の周りじゃ金が全てのルール)の略

こないだtumblrでみたんだけど

jinakanishi:

usaginobike:

yaruo:

plasticdreams:

54kan:

fishandmush:

lunaryue:

といって人と話すことが増えた。

話せる内容が増えたのだと思う。僕はとうにテレビを見ない。実家を飛び出してからここ4年くらい見てない。マスコミ不信とかではなくて、もともと僕はそんなに人間を信じてもいなければ疑ってもいない。ただ買ってまで見なくても、知りたいことをパソコンで調べれば充分だった。

Twitterと同じで、その情報がどこかの誰かのIDによってフィルタされたものだということに、僕は価値を感じる。テレビも基本的にはそうなんだけど、テレビはみんなみてるから結構その話題が知られているような錯覚がある。

ああ、わたしも同じ番組見てたよ、みたいな。

それはそれでいいんだけど、どうせなら知らないことを、知ってることだとしても、その話題により興味を誘うような話し方をしたいなと思う。相手にもそれを望む。たとえそれが偏見に充ちたメード喫茶の話題だとしても、だ。

とりとめのないおしゃべりも同じくらい好きなんだけれど、僕は割と子供のころから刺激的な会話を望んでいる。今は相手をちゃんと選ぶ、ということをやっと覚えたところ。

絵の話になるけど、いつも見てます、あなたの絵が好きですとか言うために即売会イベントに行く。かつて売る側だったこともあって、ああいうことを言いに来る人って、妙に気持ち悪かったり、ひどくうれしかったり様々なんだけども、僕は言われるのがすごく恥ずかしいのに、他人にはあえて言いに行く。あなたのつくったものが好きだと、伝えたくなる。多分気持ち悪い。

tumblr経由が最近は多くって、だから誰かに無断で引用(転載)された画像からファンになって、直接本を買いに行くってことになってる。でも、こういう探し方もある。

誰かの”好き”から伝染してる。もしかしたら、嫌いな気持ち、嫉妬もあるかも知れないね。それでもいい。誰かの関心の結果に起因してる。それと出会った自分の反応が、購入に繋がってる。探し方のひとつとしてアリだと思う。ランキングを参考にするよか効率は良い。

そういえば、インターネットだから、ウェブだから、tumblrだから、Twitterだから、だからすごい! みたいな論説をその界隈の職業の人が熱心に言っているのをたまにみる。

でもそれってあんまり関係ない気がしてる。新しいメディアに関わってるって自信を誰かに裏付けしてほしくてそんな言い方をするのかなとすら思える。わざわざ。

自分のお気に入りを人にそれとなく伝える、それを気軽に行えることはとてつもなくすばらしい。時には、気にくわないってことも無言で伝えられる。ちょっとした一言や、あるいはそこから小さな議論が発生して、情報が変容する。もしかそれは全部嘘かも知れない。でもそれがいい。知りたいな、と思ったら自分でちゃんと調べるから。

僕は10年もインターネットを利用していないけど、こんなに寡黙でいて饒舌な、多様な感情を味わえる時間を知らない。

だけどそんなこと、今から友達に直接会って出来ることじゃないか。それをコンピューター技術が便利にした。友達じゃない人にだって、それとなく伝わっていく。すばらしいのはこの気持ちもセットなんだ。

当たり前のことだけど、忘れがちだった。忘れたら思い出すようにしよう。

とりあえず、Reblog.

November 19, 2009

「ウッカリ者」が足りない

handa:

nemoi:

nakano:

shinobixx:

uowou:

ken1ymd:

いつの頃からか、家庭の中には子供が少なくなり、二人以下で一人っ子なんぞ当たり前になってきた。

その結果、兄弟が育つ過程で身に付く人格としてのキャラクターも一様なものになり、徐々に「十人十色」と言われるような多様性が歪化されてきたように思う。

「人は3人の子供を持って、やっと親になる」と聞いた。
腹を空かせた子に、右のお乳と左のお乳を。3人目は・・・
子を助けるとき、一人は父ちゃん一人は母ちゃんが、さてもう一人をどうしよう・・・
で、親の知恵が出る。

兄弟が子供たちの世界で育っていくうちに、その多くの場合、一番目は年長である故に「シッカリ」していき、二番目は上と下に目を配って「チャッカリ者」に、そして三番目が世の中の潤滑油として重要な役割を果たす「ウッカリ者」になっていく。

かつて熊さん八っつあんの頃、ある割合でいた「ウッカリ者」がいなくなり、世の中は「シッカリ者」と「チャッカリ者」とが大勢になり、どんどんギスギスした方向へと進んでいるように感じられるのは私の年のせいか?

November 18, 2009

ヒップホップは自己愛に満ちた音楽である。こんな俺だけどカッケーベ!といったある種の開き直り、そこに痛快さがある歌詞世界。ある意味これは自己肯定の音楽なのである。ニューヨークのゲトーの住人たちのメンタリティが世界に飛び火してヒップホップはでかくなっていった。それが正しかろうが正しくなかろうが、俺はこうだと言い切る強さ。そこにこの音楽の根源があるのだろう。つまり揺るぎない意志を持ってヒップホップは作られるべきなのだ。そこで彼らが戦ったのは自分たち自身であっただろうことは疑う余地もない。さっき彼らはどん底から這い上がってきたと言ったが、その正に「どん底」な時代に意地の悪い人間はよくこう言ったものだ。「なんで日本人がラップする必要あんの?」と。「あれは黒人の文化でしょ」と。これは高校生だった当時の俺自身も何度となくまわりに言われたことだった。屈辱だったが無理もない、なぜなら小さかった当時のシーンの外の人間たちには日本語でのラップの仕方さえ想像できなかっただろうから。そしてその意義もわからなかったに違いない。「ラップなんてノリ一発のものでしょ、それが出来るのはリズム感のいい黒人だからでしょ」などという今考えれば人種問題とも取られかねないような極論がまかり通り、それは同時に世間の大多数の意見だった。それを長い年月をかけて先人たちが一歩一歩わからせてきたのだ。「日本人だってラップしたい!」「日本人だってラップ出来る!」「日本人だってラップする意味と意義がある!」これは本当に今の若者には想像つかない心境なんじゃないだろうか。今の日本に「ヒップホップ」が根付いたのかはわからない、だが日本人がラップ出来ることは今の若者なら誰でも知っている当たり前のことなのだから。


その「当たり前」を作ったのがさんぴん世代とそれ以前のパイオニアたちなのだ。ヒップホップを生きることはこの国ではもともとリスキーなことであったのだ。金にもならない、女にもモテない、理解すらされない。だが彼らはマイクを置かなかった。ただただラップがしたかったのだ、狂おしいほどに。そこに見返りを持とうとしたなら続けられるわけがなかった。そんな時代があったのだ。そのことをシーンの住人たちは忘れてはいけない。そしてもちろんライムスターがそれを忘れるわけがなかった。その昔マイクロフォンペイジャーが提示したのはニューヨークのヒップホップのライフスタイルだった。その歌詞世界も向こうのシーンに影響を受けたものだったし、そこがクールでスタイリッシュな理由だったわけだ。だが一方ライムスは音楽性は確かにどこまでもヒップホップだったが、その歌詞世界はペイジャーとは対極にどこまでも泥臭い日本人独自の感性に満ちていた。彼らは東京をニューヨークに見立てて歌詞を書くことが出来なかった、なぜならそれは幻想であるからだ。USのヒップホップを聴きながらも俺たちは米と納豆を食うのだ。チキン&ワッフルではなく。欧米か!否、ここは日本である。つまり彼らは「アメリカ的である」ことを初めから諦めていたし、そこからでないとオリジナルな何かなど生まれるはずもないと思っていたのだろう。


では「アメリカ的」な美学を歌詞から排除し、日本人であることを肯定した上でどうヒップホップを説明するのか。それが彼らの命題であった。彼らは英語が話せる一部のラッパーとは違い、この国の大多数の日本人と同じく日本的であった。欧米人じゃない、ゲトー出身でもない、不良だったわけでもない。じゃあ何に惹かれた?ヒップホップの何が自分たちをここまで突き動かした?そこを提示したかったのだろう。そして彼らはそれが「メンタリティ」であることに行き着いた。アメリカのゲトーの住人たちがホワイトアメリカに対して持っていた劣等感がこの文化のパワーの源ならば、日本人が欧米人に対して持つ劣等感がパワーにならないわけがない。なんせ我々の国は敗戦国なのだ。だから陳腐な言葉だがやはりヒップホップは「勝ち上がり」や「下克上」を目指す文化なのだ。既存の価値観を、ゲームをひっくり返すこと。それを「何ものにも媚びず」成し遂げるために「己を磨く」こと。それこそがヒップホップがヒップホップ足る理由なのだとライムスは考えたのであろう。そしてその意思が固まり、音源として世に放たれたのは前作エゴトピアから三年以上が経過した98年だった。彼らはヒップホッパーのメンタリティを「Bボーイイズム」と呼び、それを曲名に掲げてついにシーンにカムバックしたのだ。前述のユウザロックによる「ヒップホップナイトフライト」の放送で俺は初めてその曲を聴き、ぶっ飛びまくって椅子から転げ落ちた。

ブラックジャックの名言


「星は一等星から六等星まである。
 六等星は見えないくらいかすかな星のことだ。
 だが実際は一等星より何十倍も大きな星かもしれない。
 世の中には六等星みたいな人がいくらでもいる。」

「たいした奴だな簡単に5人も死なせるなんて、
 こっちはひとり助けるだけでせいいっぱいなんだ」

「剣に頼る者は剣で死ぬ。
 お前はそれでもメスをとるのか?」

「死ね! 
 この自然の美しさが分からん奴に生きる資格などない!」

「流れ星になって毎日消えていくように見えても
 星の数はいっこうにへらない」

「病気ってやつは星空みたいなもんだねえ なァ妹さん」

「人間はバカだ。それに気づいてもまだやってる」

「五千万円よりも心をこめて
 おごってくれるラーメンのほうが満足だ」

「あなた方は賭けてないのか!
 我々は神じゃない。
 人が人を治すなら、賭けるしかないでしょう!」

「私は見かけの姿なんて興味ないよ。
 どうにでも整形できるからな」

「何をしょげている。お前は私の奥さんじゃないか。
 それも最高の妻じゃないか。行こう。患者が待ってるぞ」

November 16, 2009
November 11, 2009

大きな流れというか、大きく見えるものって、増幅する人たちがいるから大きくなるんですよ、たぶん。エコだって、誰も増幅しなければ、小さな考え方のままだったかもしれない。ところが増幅に増幅が重ねられていくうちに、「エコは人間の義務である」ぐらいまでなってきて、そのうちに「自分が生まれてきたのはエコのためだ」って言いたくなってくる(笑)。いや「エコ」じゃなくてもいいんです。「エコ」のかわりに「戦争」を入れてもいいし、「お金」でも「性」でもいいわけですけれど。

なんか大きすぎて見えなくなるぐらいに感じはじめると、正面から見ることを恐れてしまうというか、もう目を凝らして考えるのは難しいと思い込んでしまって、考えるのをやめてしまうんですね。世の中の大きな流れってそういうものなんじゃないか。大きな流れがどうしてできてしまうかといえば、それはもう増幅装置が犯人だって、ぼくは思うんですね。

欲望っていうのは、本来はそれぐらいの振れ幅のあるものかもしれない。ところが、強い欲望の幻想を信じこんでしまうと、しかも「みんなはいいことしてるぞ」みたいな小さな声がいつもどこかから聞こえてくるような日本にいると、「お金」とか「性」とかがすべてを動かすんだ、みたいな気分になってしまう。

昔だったらもっとぎらぎらしていたのが、淡々としているでしょう。その清潔感を、今の若い子たちのポテンシャルが落ちているせいだって世の中は整理したがるんだけど、そんなことはないんじゃないかな。時代とか場所の持っているエネルギーに強く影響されているか、それほど影響されてないか、という問題にすぎないかもしれない。「草食系」だなんて簡単に片づけてしまわないほうがいい、とぼくは思いますね。

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